政策と見解−県・市・町の動き

四日市公害防止計画 三重県が策定を終了【12.08.19】

党三重県委員会が質問状「いつ決めたのか」

 四日市公害裁判の原告住民側勝訴判決(1972年7月24日)を受けてその後、策定されていた「四日市地域公害防止計画」が、住民に知らされないまま無くされていたことが明らかになり、日本共産党三重県委員会は24日、事実関係をただす公開質問状を鈴木英敬知事に提出しました。

 四日市地域公害防止計画は判決後5年ごとに策定されてきましたが、第8期の2010年までで終了し、11年8月には新たな計画は策定しないと決定されています。しかし、このことは公表されておらず、萩原量吉副委員長(前県議)が公害にかかわる情報を公開請求する中で事実が明らかになりました。

 質問状は、公害防止協定を策定しないという決定をいつ、誰が、どの機関で判断したのかをただすとともに、四日市の公害の現状認識などを問う内容。

 萩原氏は、四日市公害判決が被告企業だけでなく行政の責任も厳しく裁いたこと、住宅地と工場地との混在の解消が公害防止計画の大きな目標だったが改善されていないことなどを指摘。「公害のイメージを無くすのではなく、公害そのものを完全に無くす努力こそ必要」だと強調しました。

終了の経緯示さず 三重県が共産党に回答

 三重県四日市地域の公害防止計画が住民に知らないまま策定されていない問題で県は8月7日、日本共産党三重県委員会の公開質問状に対する回答書を出しました。

 計画を策定しなかった経緯について回答は「四日市の環境が『公害が著しい』といった状況にはなかったことから、四日市市の意向も踏まえ、国と協議のうえ、担当室において判断したもので、特段の対外的な報告等は行っていない」としています。

 四日市地域公害防止計画は、コンビナート企業が引き起こした四日市公害の深刻な状況を受けて1970年から策定されていたものですが、第8次計画が2010年に終了して以降、新たな計画が策定されていないことが明らかになりました。

 県が計画を策定しなくなった背景には、民主党政権の地域主権戦略に基づいて環境基本法が改定され、計画策定が環境大臣の指示から都道府県知事の自主判断に変えられたことがあります。

 萩原前県議は「四日市公害は改善されたとはいえ、まだまだ無くなっていません。誰が、なぜ黙ったまま計画の策定を内々で終了しようとしたのか、回答でははっきりわからない」と指摘。引き続き責任を追及する構えです。

四日市公害防止計画打ち切りなぜ 知事に再度質問状

 三重県が「四日市地域公害防止計画」の策定を2010年で打ち切った問題で、日本共産党三重県委員会は8月16日、打ち切りの経緯をただす公開質問状への回答(7日)が不十分だとして、再度の質問状を鈴木英敬知事に提出しました。

 再質問状では、公害防止計画の基本が住居地と工業地域の混在解消であるのに放置されていることや、計画には各企業の公害防止施策の実施状況が経費も含めて明記されていたことなどを指摘し、計画策定の必要性を改めて強調。公害防止計画を誰の判断で打ち切ったのか、環境審議会や議会へ報告しなかったのはなぜか、四日市の公害の現状をどう考えているか、などをただしています。

四日市地域公害防止計画 萩原前県議 継続へ議論要請

 三重県が「四日市地域公害防止計画」の策定を打ち切った問題で、日本共産党の萩原量吉前県議は3日、県議会としても問題を調査し、計画の継続へ向けて議論するよう山本教和議長に申し入れました。

 公害防止計画は四日市公害の深刻な状況を受けて1970年から策定されていますが、民主党政権の地域主権戦略で計画策定が環境大臣の指示から都道府県知事の自主判断に変えられたことから、三重県は第8次計画が終了した2010年以降、新たな計画を策定していません。

 計画打ち切りについて県は、「四日市市の意向も踏まえ、国と協議のうえ、担当室において判断した」としていますが、県議会や四日市市議会、さらには公害認定患者や環境審議会などにも全く知らされていなかったことが明らかになっています。

(「しんぶん赤旗」2012年9月5日付けより)

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